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シャルル3世 (西フランク王) : ミニ英和和英辞書
シャルル3世 (西フランク王)[しゃるる さんせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランク : [らんく]
 【名詞】 1. rank 2. (n) rank
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

シャルル3世 (西フランク王) : ウィキペディア日本語版
シャルル3世 (西フランク王)[しゃるる さんせい]

シャルル3世(しゃるる さんせい)(879年9月17日 - 929年10月7日)は、カロリング家西フランク王(在位:893年 - 922年)、ロタリンギア王(在位:911年 - 922年頃)。単純王〔「裏のない」という意味であり、愚かであるという意味はない。(Collins, p.161)〕と呼ばれる。フランスに侵入してきたノルマン人と和解した。領邦諸侯に嫌われ、廃位され幽閉されて没した。
== 生涯 ==
2代目の西フランク王ルイ2世吃音王の3男として父王の死後に生まれた。母は吃音王の2人目の妻、アデライード。吃音王はシャルルの誕生前に没して、2人の異母兄が共同で王位を継いでいたが、共に早逝し、885年に東フランク王国カール3世が西フランク王を兼務し〔柴田、p.171〕、シャルルはカール3世に後見された。
当時西フランク王国は、ノルマン人サラセン人マジャール人の侵入に苦しんでいた。887年にカール3世が失脚した次の王には、885年 - 886年のノルマン人の包囲からパリを護った英雄、ロベール家ウードが選ばれた〔柴田、p.172〕。聖俗諸侯が力を付け、王を世襲でなく選挙で決める時代になっていた。
ウードの治世下の893年1月28日、シャルルはランスサン=レミ聖堂で、カロリング派のフルク司教(Foulques le Vénérable)により聖別され戴冠した〔Collins, p.161〕。
両派が3年争って後、ウードはシャルルにセーヌ北部を渡し、シャルルを次の王に指名して、898年1月に没した〔。19歳のシャルルは、漸く西フランク全体の王になった。
911年シャルルは、侵入するノルマン人の長ロロとサン=クレール=シュール=エプト条約(le traité de Saint-Clair-sur-Epte)を結び、ノルマンディー地方を与えてロロをノルマンディー公に封じた〔柴田、p.175〕。ロロは洗礼を受け、シャルルの娘ジゼルを妻とした〔森、p.17〕。
同じ911年、東フランク王国ではルートヴィヒ4世が没してカロリング家の世襲が絶えると、ロタリンギア(当時のロレーヌの呼び名)には親西フランクの派閥が形成され、シャルルはロタリンギア貴族の臣従を受け、ロタリンギア王となった〔。
しかし、ロタリンギアへの執着と部下の処遇の不公平などから、シャルルはロレーヌ公ジルベール(のちハインリヒ1世を支持)と不仲になり〔瀬原、p.67〕、西フランク王国の諸侯にも嫌われた。そして922年に叛かれて廃位され、その反乱を指揮したロベール(ウードの弟)が王に選ばれ〔〔Collins, p.163〕、シャルルはロレーヌへ逃げた。
923年、シャルルはノルマンの兵を率いてロベール1世とソワソンで戦って討ち取ったものの、ロベールの息子ユーグ大公と娘婿のラウールとに敗れ、ヴェルマンドワ伯エルベール2世(Herbert II)にティエリ城(Château-Thierry)へ囚われ、翌年ペロンヌ城の塔に移された〔柴田、p.176〕。
ラウールが西フランク王になった。エドギフはのちのルイ4世を連れ、イングランドの実家へ亡命した。ロタリンギアは925年、ハインリヒ1世がドイツに取り戻した〔。
シャルルは929年10月7日獄死し、ペロンヌ城に近いサン=フルシー教会(l’église Saint-Fursy)に埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル3世 (西フランク王)」の詳細全文を読む




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